710年の平城遷都に際し、藤原不比等が飛鳥の厩坂寺を移建して興福寺に改名。藤藤原氏の氏寺として、古代から中世にかけて強大な勢力を誇るが、たび重なる火災や衆徒の自立で次第に力を失い、明治維新後の廃仏毀釈で廃寺同然に。明治中頃、法相宗の大本山として復興、1998年には「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録される。
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